「Amor ~ 心の中をのぞく」
<交差する思い~つぶやき>


シリア内戦。2013年8月21日、化学兵器を使用した。1400人死亡か?
シーツにくるまれて床に横たわる何人もの子供たち。床にスプレーをまく人たち。仰向けに横たわってうつろな目をして激しくけいれんする人たち。
難民200万人、国内避難民425万人。一夜生き延びられるかどうかも定かではなく、朝日を見るたびに息を吹き返す思いの人々。

「世界の終わりと思った。」と、被害者の声。
そう、世界が終わっていくのを早めているのが我々、人間なのかも知れない。



人類は今や、精神的な荒廃のとどまることを知らない・・・
「平和のために」と、より脅威を増す兵器作りに励む科学者たちを絶賛評価し、戦争をし続ける政治家たち。
昔は人々の『祈り』が眠っていた地下も、今は、「石油」と「核」が眠っている。
自然の危機は決して人間の外部に起こっている危機ではなく、人間の心の危機が巻き起こしている問題であることに人々は気付きもしない。そしてこれらのほとんどが実は人間がつくり出した問題であることを忘れ、テクノロジーの千年王国を自他ともに謳歌している。歪んだ現代社会の構造は「木を見て森を見ず」のごとく、地球環境の危機的状況を加速させている。

「いのち」への感性がほぼ完全に摩滅していると思わされる殺人事件、犯罪の過剰増加。
巷に溢れかえるバーチャルリアリティー(仮想現実)がもたらす魂の喪失。
自殺」を流行らせる現代社会。ダムの出現に拍手を送っても、歪められる自然のうめき声を感じない人間の感性の喪失。


知りもしないのに、知っていると思い込み、知恵があるゆえに、ものがあるがままに見えず、自分と言える知恵があるにもかかわらず、自分が何をするのか分からない現代人たち。
そして、ただひたすら「計算の人生」を歩む。

心が貧しく、やせこけた、わびしい生き方をしている人間たち。

一皮はぐと、「残酷」と「惨めさ」がえぐりだされる『現代の幸せ』。



われわれは、もう一度「自分とは何なのか」を根こそぎ考える時代に突入した。本来、われわれ一人一人が「幸せに生きるため」に実践するべきことは何なのか?を見つめ直す原点に戻り立つために。

その原点は、「自分の心」を見つめること、そして「愛と感謝の実践」を繰り返すことにある。

「自分の心」を見つめ、とことん実感するべきだ。

心はすごく高慢で、「自分は生きたい。」という強い自己愛を持っていて、常に「自分は正しい。」と思っている。
心は気持ちのいいことだけを願い、とてもエゴイストであるにもかかわらず、一方では、わがままでエゴイストの人を嫌う。
心は体の支配者。我々がやっていることは、すべて自分のためにやっている。

我々は、全ての現象が複雑に絡まり合い、相互に依存しながら存在すること、我々の毎日の生活は、人生は、全ての生命のお陰によって成り立っていること、つまり「生命はひとりでは生きられない。」という事実を直視しなければいけない。その上で、エゴイストである我々は、そのエゴイストを守りたければエゴを壊さなくてはならないのだ。そしてこれを正直に実践することが、今、要求されている。人間は大自然の中に存在し、生かされているのだから。

この地球の危機を救うもの。それは『愛』ではないだろうか?
『愛をもってすれば、あらゆるものに打ち勝つことができる。』この言葉を恐れることなく、信じたい。
哀しみを喜びに変えていく力をもつ愛。
愛は最初は困難な決意であり、それを行いうるまでは、長い間たえず学ぶべきものであって、決して我々にとって自然に、生まれながら備わっているものではない。しかし、人が愛をもったときには、他のいかなるものにも増して、より多くの力ばかりか、より多くの知恵と忍耐力をも与えられる。なぜなら愛は、永遠と実在と生命の一部分であって、すべての地上のものとちがい、老化することがないからである。

全てのものに無条件に愛を与え、互いが互いを生かし、生かされていることに感謝して生きていくこと。
生きとし生けるものすべてに、無条件に光を注ぎ続ける太陽のように。
生きとし生けるものすべてに、無条件に大気と水を恵み続ける地球のように。



2013年10月1日
ケイコフジイ